新茶について

「新茶」とは、その年の最初に生育した新芽を摘み採ってつくったお茶のこと。
鹿児島などの温暖な地域から摘み採りが始まり、桜前線と同様に徐々に北上していきます。
「新茶」と「一番茶」とは基本的に同じお茶のことで、その使い分けとしては、「一番茶」は
その後に摘み採られる「二番茶」「三番茶」などと対比して使われることが多く、
「新茶」は一年で最初に摘まれる「初物(はつもの)」の意味を込めて、
また「旬」のものとして呼ばれる際などに使われます。
 茶樹は、冬の間に養分を蓄え、春の芽生えとともにその栄養分をたくさん含んだ
みずみずしい若葉を成長させます。 それが新茶となるのです。
立春(2月4日)から数えて88日目の日を「八十八夜」といい、昔から、この日に摘み採られた
お茶を飲むと、一年間無病息災で元気に過ごせると言い伝えられています。
八十八夜の頃のお茶が美味しいのは、一芯二葉といって2枚の若葉のついた新芽の先端だけを
摘んでつくられるからです新茶の特徴は「さわやかで、すがすがしい香り」がですが、さらに、
「二番茶」「三番茶」に比べて苦渋いカテキンやカフェインが少なく、
旨み、甘みの成分であるアミノ酸(テアニン)が多い傾向にあります。

蒸製玉緑茶と釜炒り製玉緑茶

お茶は、我が国にも自生していたという説もありますが、一般的には中国から入ってきたと言われています。年代は、はっきりしませんが江戸時代の書物には、729年に宮廷で茶が飲まれていた事が記されており、このことから、奈良時代には日本に伝わっていた事が推測されます。
お茶は当初、大変貴重なもので一部の人しか飲むことが出来ないものでした。
それを一般庶民の飲み物になるきっかけをつくったのは、鎌倉時代の臨済宗の開祖栄西です。
栄西は修行の為、中国に渡った際に茶の種と抹茶法と呼ばれる茶の飲み方を持ち帰ったのです。
栄西が日本で初めて茶を植えたとされるのが九州平戸です。この地には「日本最初之茶樹栽培地」と
刻まれた石碑が建っています。
当時の茶は現代の抹茶に近いもので煎茶の登場は室町時代前期で江戸時代に入ってからは
煎茶が茶の中心になり全国に広まるにつれて一般庶民の口にも入るようになりました。